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書籍名 『人生を<半分>降りる』(哲学的生き方のすすめ) [amazon.co.jp で検索]
出版社名 ナカニシヤ出版
著者名 中島義道著
[001] 2005/07/09 11:54:14 三田 守久

 最悪の本を読んでしまった。最低の内容だった。

 こういう読後感を書くと、著者の「それこそが望みだ。お前の気にいるようなことを書くわけがないではないか」と高笑いしている姿が目に浮かぶ(見たことはないが)。

 本の帯には「世間にほどよく背を向け、人生や死を真面目に考えたい人の<半隠遁>のすすめ。」と書いてある。例によって本のタイトルに惹かれて買ったものの、言っていることと、やっていることがこれほどに離反している書き物はみたことがない。という苦情を言ってもらうことこそが望むところ(快楽)なのか。

 そもそも<半分>とはなにか。時間か。しごとか。気持か。多分、それらがないまぜになった適当な「塩梅」のことをいうのだろう。

 著者は、たとえばなにかの集まりで交わされる会話のなんと無意味なものが多いことかと嘆く(というか怒る)。時間の無駄だし、気持が悪い、ということらしい。そんな形式的言動をこきおろす。いろいろな書物の著者後書きにあるような謝辞に近いことば、学会事務局の運営に嬉々として携わるひとびとの権力指向(そうかなあ)、弟子の翻訳に監修などとして名を連ねること、葬儀の席での弔辞、パーティのスピーチ、、、キリがないほどに挙げられている。

 そうかと思えば、善人面したわれわれ一般大衆も、ニーチェやオルテガを持ち出して罪深いと嘆く。つまりこういうときは、個人をとりあげないで(個々の場面設定はなく)、平均的な一般人全体をひと括りにして糾弾する。さらに専門家というか、職人もその攻撃の対象になる。職人は、自己満足の世界に浸っていて「欠陥人間」ということになる。すべからく、他人が満足感に浸ることは許さない。著者の(哲学の)世界でもそういうことがいえて「カント」バカがたくさんいると非難する。

 多分、今日はいい天気ですね、なんて時候のあいさつはなんの内容も含んでいないということで排斥されるだろう。だが「今日は暑いねえ」と心底思って言ったたからといって、それに実質的な意味が含まれているなら返事をしてもいいか、そうでないならやめよう、なんてだれが考えるか。

 食べ物の嗜好についてはもっとうるさい。肉は食べないが挽肉ならいい、卵そのままでは食べないが卵焼きはいい、目玉焼きはそのときどき、などと得意げ(かどうかはわからないが、これだけたくさん書くということは多分嬉々として書いているのだろう)に語る。もっともっとあるらしい。そういう自分の嗜好でたとえば家族が苦労しているかもしれない、ことなどはまったく言及しない。わたしもそういう家族(家族ひとりひとりの好みがみんな違う、それも著しく違う)を知っているが、その奥さんのたいへんなことといったらない(自業自得の面はあるにしても)。

 捨てたほうの半分の人生についてはなにも語らない。捨てていないほうの半分の人生についてはきわめて饒舌である。ならば人生「まるごと」生きてるじゃないか、と言いたくなる。だが「半分」捨てているという。いったいこの性格のゆがみはどこからきているのだろう。幼児体験かもねえ。

 理性と感性のバランスが極端に悪いとこうなる、という見本がこの書籍であり、著者であろうか。

 本のなかほどに、「人間嫌いは人間好きである」という見出しのついた小文があるのだが、じつは著者は自分のことを言っているのではなかろうか(本人もそれらしく書いているが)。

 それなら素直にそう行動すればいいのになあ。

 いまのままなら、いっときも早く人生を「全部」降りることを、それこそおすすめしたい。

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