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書籍名 『無責任のすすめ』(ソフトバンク新書067) [amazon.co.jp で検索]
出版社名 ソフトバンククリエイティブ株式会社
著者名 ひろ さちや
[001] 2008/03/06 12:09:30 三田 守久
 本屋の書棚で、宗教ものの書名でけっこう目にするが、じつのところどういうひとなのかよく知らない、というかわからない。この本を読んでもまだわからない。本人は自分のことを「宗教家」と言っているが、<著者紹介>欄には「宗教評論家」と書いてある。似て非な感じもするが、、、。

 結局、どういうことを主張したいかなあ。書いてあることよりずっと深遠なことを言っているにちがいないが、半分は納得できるが、半分は賛成できない。大雑把に言えばそんなところか。

 著者によれば、管理するものは全員まちがいなく「悪」で、管理される側はどういう人間であろうと「善」であるらしい。だから管理されるひとびとは、なにを言ってもいいし、なにをしてもかまわない。管理している人間は、「意のままに」管理される側のひとびとを動かしているのだから、あらゆる面で責任を持たねばならない。逆に言うと、管理される人間はしたがって「無責任」でかまわない。そういうことだそうだ。

 だから政治家はだれも悪い。官僚は政治家の言うとおりに行動すればいいのだから、官僚が悪い、ということはあり得ない。それはきちんと指示していないところの政治家が悪いのである。だから官僚に「責任」は「無」いのである。

 政治家と言っても、与党と野党という比較になれば、与党が「全部」悪い。野党はなに言っても許される。小沢代表が、約束を反故にしようが、前言を翻そうが、そんなことはどうでもいい。すべて与党あっての反応なのだから、すべて許される。責任は須く与党にある。

 どうも結局のところ「権力嫌い」を徹底したい、ということかなあ。

 そうなら宗教界の「権力構造」を変革することにもっと力を注げばいいものを。

 元々、国家は悪であり、したがって、それを支える人間どもが悪いのは当然である、ということらしい。

 なんだかいま読みかけている本にも「国家は暴力装置である」なんて表現が出てきていたなあ。

 翻って、宗教はどういうものもすべて「善」の代表のようだ。キリスト教、イスラム教、仏教を「普遍宗教」というのだそうだが、どれも人間愛に満ちた宗教だそうである。その割には、キリスト教圏もイスラム教圏も、古来、血なまぐさい話が絶えないのはどういうわけだろう。比較的穏やかに見える仏教ですらいろいろあった(と思う)。これも為政者のせいなんだろうなあ。多分、宗教者には罪はないのだな。

 いくらタイトルがタイトルだからといって、無責任きわまりない主張をして、それを出版する、というのはどうでしょうかねえ。まさか「無責任のすすめ」という主張を「責任をもって」する訳がないでしょう、と言われてはブラックジョークもいいところか。

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