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書籍名 『妻と僕』(寓話と化す我らの死) [amazon.co.jp で検索]
出版社名 飛鳥新社(2008年6月)
著者名 西部 邁
[001] 2008/08/25 12:08:23 三田守久

 タイトルを見ただけで、普段であれば、到底、買わない類いの本なのだが、ほかならぬ(最近、小林よしのり氏からやり玉に上げられてちょっと困っているだろうけれども、まあ自分自身は、フアンでもある)西部邁氏の著書というだけでなく、産經新聞(だったか)に載った富岡幸一郎氏の書評にも、なんとなくただならぬ雰囲気を感じて、買ってしまった。というのも書評のなかに「・・・自死の予感を孕みながら・・・」のような文言が目についたからだった。西部氏の最近の、とくに「後期高齢者医療」問題あたりで発言している内容は、突き詰めれば「自死」に必然的に行きつくように見える。もちろん以前からそれに似た発言はあったのだが、それを書籍のかたちにして、「公」にする、ということはほんとうなのであろうか、ということが購入の動機にあったと思う。併せて、書評中に西部氏の奥様がすでに末期のガンであって余命についても、もはや知れるところである、という内容の記述も気がかりだった。

 著者は、いったいなぜいま、この本を世に出すような気持ちになったのであろうか。

 だいたいそんなことがら(「自死」や奥様の病気など)はだれにも知られる必要もないし、だれに知らせる、という性質のものでもなかろう。もっとひっそりとしたことがらであって、ましてや自分に関係していることとはいえ、当面、世を去る(と見られる)のは自分ではない。世に知らしめて、逝く本人が喜ぶのか。もちろん氏は抜かりなくも本人の了解を得ているのであろうが、そこがまずは違和感となって重い気持ちになる。

 最新号の月刊『文芸春秋』(だったか)にも余命三ヶ月のどこかの大学の先生の闘病記が家族の手記とともに載っていたかと思う。タイトルだけしか見ていないので内容については定かではない。

 何故に、こうした人生の最後を、活字にして知らしめておきたい、という発想になるのであろうか。

 西部氏の場合には、最近では(自他ともに)「評論家」の肩書きを使っているようだが、一時は、「著述家」のように表現していたように思う。「著述」を業とするものにとって書かなければならない心境なのであろうか。あるいはその職業故に、また過去の言動故に、書くべきと考えたのであろうか。ま、しかし書くなら「いま」しかないだろうなあ。「いま」より前でも、「いま」よりあと(つまり逝ってしまったあと)でも書けないではあろうな。

 ところで、文中、「・・・夫婦の愛情なるものの究極の支えは、相手の孤独への(さりげなくかつ休みなき)気づかいということなのだと思われます。」(187ページ)とあるけれども、そうした「気づかい」は、この書籍の刊行とは関係ないのであろうか。あるいは刊行こそが「気づかい」なのであろうか。

 引用したい文章はいくつかあるもののここではあまり触れたくない。

 この本によって引き起こされた自らの感情をもっとよく見つめ直してみたい、ということであろうか。

 賛否いろいろあるとしても、還暦を迎えた(迎える)あたり人々には読んでおいてほしい本のように感じた。

 余談だが、西部氏は、ずいぶん前に『発言者』というオピニオン誌を刊行した。しばらく続いたが、まもなく資金難で発行に行き詰まり、二、三発行元が移ったように思う。その後『表現者』という名称に変わって、現在も発行は継続されているのだが、最新の状況では発行元がジョルダン株式会社となっている。このswimyのなかでも少なからずのひとがこの会社を承知していて、その社長が佐藤俊和氏であることもよーく知っている。まさか佐藤社長がスポンサーになったとはなあ、と感慨深いものがある。





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