Swimy について知るために

Swimy 運営のガイドライン

<SWIMY運営にあたってのガイドライン>

 我々は意見の違うことは良くないことであるという文化のなかで、意見の違いが人格の違いととらえがちであるが、swimyでは、個別の状況に対する各人の判断はその人の描く全体像によって異なると考えている。個人の持つ全体像が変われば、個別の判断も変わる。

 swimyメインのメールリストはネットワーク社会における全体像がどんなものなのか、各人がそのイメージをどのように持っているのか意見の交換をする場である。swimyではネットワーク社会における価値観はあらゆる分野で過去のものとは違ったものとなると考えているので、話されるサブジェクトは多岐にわたるし、話されるサブジェクトの結論を得ようとするものではなく、多様な意見の存在を知るためのものであり、会話が発散することが予定される。swimyの会員は全員メールリストに登録されて、削除は出来ない。

 一方、話されるサブジェクトが部分的であって、全体像として扱うには細かすぎると考えられるような会話は必要に応じてサブリストをつくってそこで行う。意見の投稿をどこに行うかは投稿者の判断にゆだねる。サブリストへの登録や削除は各会員が自由に行うことができる。

 swimyではこのように電子的な会話とメールリストによって我々の描く社会の全体像がより具体的になり参加者の日常の活動と関連付けが行われるような「ものの見方、考え方」が生成されることが目的である。

<Swimyでの会話についての補足>

 swimyではネットワークを基盤とした社会においては今までとは違った考え方をもって行動する必要があり、その結果社会の在り方や産業の在り方も今までとは違ったものになると考えるメンバーが、いろいろな問題について電子的に語り合っているわけですが、その為には提供された問題をさらに深く突き詰めてゆく必要があります。その為には、何をいつ発言するかについて会話の成り行きをかなり注意しながら発言しなければならず、聞いておられる方もだんだん発言がしにくくなって、他の問題を感じたときに自由な会話が出来なくなる気がします。

 そこであるサブジェクトに固執した議論が交わされていても、なおかつ他の人はその話題に関係なく何か他に言いたい事があったらいつでも言える様なシステムはないかと思っていました。そこで小説や論文を書いているとは想わずに、絵を描いていると想うことにしました。論文だと筋道をちゃんと付けながら議論して行かねばなりませんが、絵を画く人は空をチョコチョコと塗ったと思うと樹の枝をチョコチョコと画いて、又今度は地面をチョコチョコとやって、という風に、見ている方からすると何を考えてやっているのか分からないんだけれど最終的には絵になるでしょう。

 そう考えれば我々の会話も誰が何処で何をどう言っても、各々好き勝手な部分を皆で画いていることになるでしょう。もちろんそこが木の根っこを画いていると分かるとそれは黒にしろだとか赤にしろだとか議論が沸騰することになりますが、みんな同時に木の根っこを画く必要はないのです。そして聞いている方はいったいこの話は我々の画いている絵のどの部分に当たるのかなーということが気になる、これも重要なことなのです。

 我々は過去、ある絵を画いてきました。日本丸の絵です。そして現状我々が必要とする社会の転換は、その船を乗り換えるということに匹敵します。そしてそれは新しいキャンバスに違う絵を画くことです。そこにどんな絵を画くのか、その下絵がswimyのスタートです。その時:

 swimyのメンバーは自分の新しい絵のイメージを持っている。現時点で持っていなくても話を聞いているうちにイメージしてくる。全体の絵は良く分からなくても木の根っことか個別になればいろいろ意見をお持ちだと思います。そのうち全体についても意見が出てくると思います。その絵は各人違うはずだから自分はこういう絵の方が良いと主張する。それを各人は各々のフィルターで頭にまとめると同時にswimyとしての絵としてもまとまってゆく。各メンバーはみんなが描く絵を少しでも自分の主張に説得すべく会話をすることになりますし、会話を通じて自分の持つ絵もだんだん変わってゆくことになります。